キースからの贈り物

gentle-smile2005-10-22

先延ばしになりつつあった、
キース・ジャレットによるピアノソロコンサート。
やっと落ち着いた時間が作れたので
感想を書いていこうと思う。
ちなみにこのブログ始まって以来、初めて緊張している。
強いて理由を探すなら
自分がコメントするなんて恐れ多い、ともいえるし、
どう表現すればいいのか分からない、ともいえる。
正直、筆舌に尽くしがたい、と言いたいし、
あれは肌で感じるものだと言いたいが、
自分なりになんとか頑張ってみようと思う。
(様々な意味で・またいろいろな方へ)よろしくお願いします。
 
 
あのコンサートに行ったのは、もう2日も前のこと。
それだけに
あのとき受けた衝撃ともいうべき印象は薄れつつあるが、
それでも今なお残っているのは確か。
 
会場は東京芸術劇場大ホール。
席は3階中央の前目であったが、
かなりステージと近く感じられた。
なお、眺めはこちらの中央部分からのものとほぼ同じ。
演奏はアンプを使用しないものであったが、
それでも十二分に聴こえたし、指使いまでもよく見られた。
 
なお、開始前には携帯はもちろんのこと、
咳やくしゃみすら極力静かにするようにという、いわば厳戒態勢。
手元に配られた冊子にその理由が書かれていたが、
あとで調べてたら主催者のサイトのこちらにも載せられていた。
こういった事情があり、
開演前の会場は張り詰めた空気に。
正直、息苦しさすら感じたほど。
 
そんな中、
キース・ジャレットが登場。
簡単に挨拶を済ますや、
すぐにピアノと向き合い演奏へ。
 
演奏は完全即興によるピアノソロ。
初めの曲は、お互い(演奏者と観客)の緊張感が反映されたのだろうか。
固い曲調はもちろんのこと、
どうもしっくりとこない。
例えていうならば、初対面な人同士で手探り状態といったところ。
だが、それも2曲目では薄らいでいた。
いやそれどころか、
かなり感覚をつかんでいた。
そしてそのままの流れで3曲演奏。
途中からは本人が歌いだすほど乗ってきていた。
それはもちろん観客も同じ。
個人的な感想としては
あまりの心地よさ、
もっといえば
このタイミングでこの音を弾いてほしい、
という要望に応えてくれているような演奏であり、
思わず泣きそうになってしまったぐらい。
それほど流れを感じられるものであった。
そしてあっという間に前半は終了。
 
後半も、出だしは手探り状態から始まった。
まさにリスタートといったところ。
そしてそのまま1曲目終了。
そこであることが起きた。
 
というのも
(キースが)水を飲むため席を立ち
次の曲へと行くため座ろうとしたところ、客席から咳払いが。
ここでキースが思わぬ反応。
なんとゆったりと椅子に腰掛け、
今のうちに思う存分、咳なりくしゃみなりをしてくれというジェスチャー
これを見て思わず、心の中でガッツポーズ!
なぜなら、
神経質であろうキースがこれほどの余裕を見せるということは
十分にリラックスできているし、今日の観客が認められている証拠。
そしてこの出来事により
会場はほどよい緊張感とリラックスが介在した雰囲気に包まれ、
最高の舞台が整った。
あとは、キースのインプロビゼーション(即興)を待つのみ。
 
その後の演奏は期待にたぐわぬものであった。
いや、むしろ期待を遥かに絶するほどであった。
これに観客も引き寄せられ、
会場の空気に誰しもが溶け込んでいた。
2000人をも魅了してしまう演奏。
そんな演奏が現実に目の前で繰り広げられ、
さらにはその場の空気を共有できていることに幸福感を覚えた。
 
演奏も後半最後の曲では、
まるで何かしらの話を説かれているかのようだった。
こう感じたのは、僕自身初めてのこと。
もはや、音楽というものを超越していた。
まだまだ未熟者の僕にははっきりと感じ取れなかったが、
それでもキースには確固たる哲学があり
それを切々と説かれているように思えた。
それだけ大きななにかを、体全体で感じ取った。
気が付けばいつしかキースが大きく見えていたし、
スポットライトもまるで後光が差しているかのようであった。
こういうと大げさで買いかぶりすぎのように聞こえるかもしれないが、
本当にそう感じられた。
あれは間違いなく、
コンサートに行き空気を共有しなければ、味わえられないことだと思う。
 
以上をもって後半は終了。
そこで会場が大拍手に包まれたのは言うまでもない。
そしてそのままアンコールへ。
 
アンコールはまた前半のようなトーンに。
確か、綺麗な曲調だったと思う。
すでに音色云々の域は超えており、忘れてしまった。
ただただ今ここに自分がいられることをありがたいと思った。
 
演奏が終わり、退席。
もちろん会場はさらなる大拍手。
するとなんとおもむろに椅子に座るではないか。
そしてアンコール2曲目に突入。
 
今度は一転し、ポップな曲調。
変な言い方かもしれないが、初めてのジャズらしい曲。
というのも、そもそもどこかのカテゴリーに分類すること自体が
間違っているように感じられるから。
それはさておき、これは乗れた。
思わずスイングしてしまったほど。
後半最後の曲からすると、
さりげなく懐の深さを感じさせる。
 
軽快なまま演奏は終了。
そして再び大拍手。
何度か出たり入ったりを繰り返し、
最後にはステージ全体が明るくなる。
これで最後の挨拶か。
そう思うや、なんとまたピアノに向かったのである。
なんとこの日3度目のアンコール。
ライトも慌ててスポットライトに切り替わる。
 
3曲目は非常に美しい曲調であった。
まるで、今日来てくれた観客にお礼を言っているかのように。
あ、これでほんとに最後なんだな、と思う。
きめ細やかで繊細なタッチ。
まるで別の楽器ではないかと思うほどソフトな音色。
ここではさりげなく卓越した技術が感じられる。
それも、あえて見せ付けるのではなく、
たまたま必要だったから使ったというさりげなさもさすが。
 
演奏が終わるや、
大半の人がスタンディングオベーション
もちろん自分も、なんのためらいもなく自然と立っていた。
これほどの反応を観客が示すコンサートもなかなかあるまい。
それだけ取ってみても、
この日の演奏がどれほど観客の心に響いたか容易に見て取れた。
そして大拍手は、
場内が明るくなった後もしばらく続いていた。
 
終わって見るや、どっと疲れが出た。
それだけで、いかに集中して聴いていたかが分かる。
それは皆同様のようで、
普通なら終わった途端に一斉に出口へ直行するはずの観客が
この日は座席で休んでから帰る人もいたほど。
 
あのコンサートは演奏者だけでなく、
観客も一体となって作り出されたものだった。
その証拠に、
後半は咳ばらいやくしゃみなどの雑音が格段に減っていた。
だからこそ
両者が一体となった後の会場の雰囲気は格別であったし、
キースの冴え渡った演奏が観客の心に響いたのだと思う。
まさにみんなで作り出したコンサートであった。
 
今回のキースのコンサートは計4回。
そのうち、携帯が鳴らなかったのは自分が行った1回のみ。
単純にそれだけで判断することはできないが、
とはいえあの日は観客に恵まれていたと思う。
そんな幸運にも大きく感謝。
 
改めて振り返って見るに、
大いに意義深いコンサートとなった。
音楽の真髄を垣間見られたのはもちろん、
音楽という枠組みを越えて良い影響を与えてもらえた。
 
例えて言うならば、伝道師に法話を説いてもらえたようであった。
それほどキースにはキースなりの確かな哲学があり、
そこからすべてが紡ぎ出されていた。
その哲学に触れられたとき、
あたかもみそぎをしているかのような心持ちになれた。
それほど彼の哲学は研ぎ澄まされ、
彼がまるで仏道の僧侶であるかのようにすら見えた。
 
彼が観客に静けさを求めた理由、
それは彼が無我の境地になるための環境作りであるかのように思えた。
逆に、静かな空間に自分を置くことでより一層集中できるし、
また無我の境地というものにはそれだけのなにかがあるのだろうと思われた。
というのも、
彼がピアノに対して「カモン!」と言ったり
終わった後にピアノに対してお礼をしたりしていたところを見るに、
本当にその場の雰囲気や気持ちにインスパイア(触発)されて
演奏しているように感じたから。
 
いろいろ書いてきた上でこういうまとめに至ったが、
もしかしたら昨日すでに、このことを直感的に感じていたのかもしれない。
というのも昨日は感じたままにつづっていたのだが、
昨日のエントリー最終部分、
「こんな身近な静けさの中にも
 様々な魅力が隠されているようだ。」
には、今日のまとめが端的に述べているように思えたから。
またキースのコンサートから帰ってきて以来、
下手に音を流しておくことができなくなり
むしろ静けさを好むようになっていたから。
 
そういえばキースが観客に対して礼を表すときは、
常に合掌をしていた。
本人のコメントの中にも、
「日本には『瞑想』という文化がある」
と言っているし、
仏教と通ずるところがあるであろうことには
本人も自覚している部分があるのかもしれない。
 
やや話がそれてしまった。
改めて話をまとめるようなつもりはない。
ただ、このコンサートを通じて(頭で)感じられたこと、
あるいは無意識に体が感じ取ったこと、
それを今後に生かしていければいいと思う。
 
次にキースが来日公演をしてくれるのは何年後であろうか。
そのときは、さらによく「聞ける」ようになっていたい。
 

終わりに

ある程度長くなることは予想(覚悟)していたのですが、
まさかここまでのものになるとは思いませんでした。
全てを読んでくれた方がいたとしたのならば、
こんな若造の戯言(たわごと)にお付き合いいただきありがとうございました。
しかしこれほどまでに時間がかかるとは。
コンサートではありませんが、まさにすべてを出し切った気分です。
精根ともに尽き果てました。
明日は一日、寝ているかもしれませんね。
でもそれだけのかいが(自分にとって)あっただろう、と思っています。
 
なお、これほどのものを書くのはもう二度とないでしょう。
と、願いたいところです。
お互い、お疲れ様でした。